大相撲の年寄名跡「北陣」歴代の系譜と現在の襲名状況・借株の真相

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大相撲の年寄名跡「北陣」歴代の系譜と現在の襲名状況・借株の真相
大相撲の年寄名跡「北陣」歴代の系譜と現在の襲名状況・借株の真相
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🎵 大相撲の年寄名跡「北陣」歴代の系譜と現在の襲名状況・借株の真相

大相撲の世界において、親方が土俵の指導や相撲協会の運営を担うために不可欠となる「年寄名跡」。105ある年寄株の中でも、昭和の大相撲ファンを熱狂させた元関脇・麒麟児の印象が色濃く残る名跡が「北陣」です。

近年、大相撲界では親方の停年(定年)や現役力士の引退に伴い、名跡の移動や借株での一時的な襲名が相次いでいます。伝統ある年寄名跡「北陣」は現在どのような状況にあり、誰がその系譜を継いでいるのか。過去の歴史から最新の継承事情、証書を巡る角界のリアルな背景までを徹底的に解き明かします。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:名跡「北陣」は元関脇・麒麟児(13代)が長く守り抜いたことで知られる、角界屈指の知名度を誇る伝統株。
  • 要点2:13代の停年退職以降は一時的な「借株」での襲名や変遷が続き、所有状況の行方が常にファンの注目を集めている。
  • 要点3:一門内の勢力図や現役力士の引退・襲名タイミングと直結しており、今後の正式継承に向けた動きが注視される。

【名跡の歴史】大相撲における「北陣」のルーツと格式

北 陣

年寄名跡「北陣」の起源は江戸時代中期にまで遡り、大相撲の歴史とともに受け継がれてきた由緒ある株の一つです。名跡の名称は、古くからの軍陣の配置や縁起に由来するとされ、歴代には土俵を沸かせた名力士たちが名を連ねてきました。

近代相撲において北陣の名を一躍全国区に押し上げたのは、昭和の大関・富士錦(12代北陣)や、後に日本相撲協会の審判部長を務めた元関脇・麒麟児(13代北陣)の存在です。激しい突っ張りや気迫あふれる取り口でファンを魅了した力士が代々襲名したことで、「北陣=武骨で真っ直ぐな相撲道」という重厚なパブリックイメージが定着しました。

日本相撲協会における年寄株は単なる役職名にとどまらず、部屋の師匠や部屋付き親方として後進を指導するための絶対的な資格です。伝統ある北陣の名跡もまた、時代ごとの一門の結束や師弟関係の証として大切に継承されてきました。

【昭和の伝説】13代北陣親方・麒麟児和春が築いた黄金期

北 陣

「北陣」と聞いて誰もが真っ先に思い浮かべるのが、13代北陣親方を務めた元関脇・麒麟児和春氏です。昭和50年代、富士櫻との「世紀の突っ張り合い」で相撲史に伝説を刻んだ麒麟児は、現役引退直後の1988年9月に北陣を襲名しました。

現役時代の爽やかかつ闘志あふれる姿そのままに、親方としても二所ノ関部屋などで後進の熱血指導にあたりました。日本相撲協会内では審判部幹部や理事などの重職を歴任し、土俵の厳正な勝負判定を司る顔として土俵下に座り続けた姿は、往年の相撲ファンにとって深く記憶に刻まれています。

13代北陣親方は2018年5月に満65歳の停年(定年)を迎えるまで、約30年間にわたり北陣の名を守り抜きました。この長期にわたる安定した在任期こそが、北陣という名跡のステータスを確固たるものにした最大の要因です。

【歴代襲名者一覧】激動の変遷と元幕内・天鎧鵬らの足跡

北 陣

13代北陣親方の停年退職以降、北陣の名跡は激動の継承期へと突入します。親方株の所有権と実際の襲名者が異なる、いわゆる「名跡の流動化」が顕著に見られるようになりました。

13代の退職後、最初に北陣を襲名したのは元幕内・翔天狼でした。その後、元幕内・天鎧鵬(貴由)が佐ノ山から北陣へと名跡を変更して襲名するなど、複数の実力派力士が部屋付き親方として北陣の看板を背負いました。

元天鎧鵬は音羽山、佐ノ山、北陣など複数の名跡変更を経て後進の育成に尽力した経歴を持ち、土俵を支える職人肌の親方として手腕を発揮しました。このように、停年退職後の北陣は「引退した実力者が親方として協会に残るための重要ポスト」として機能してきた側面があります。

【真相追及】大相撲年寄株「北陣」現在の所有状況と借株のリアル

相撲ファンの間で常に議論の的となるのが、「北陣の株は現在誰が実質的に所有しているのか」という点です。大相撲には、名跡の所有権(名跡証書)を持つ本証書保持者と、一時的にその株を借りて親方として在籍する「借株」の仕組みが存在します。

日本相撲協会が公益財団法人へ移行して以降、年寄株の売買や証書管理は厳格化されました。しかし、引退力士が即座に自前の株を取得できないケースも多く、引退から数年間の猶予期間として借株制度を利用して指導にあたることは珍しくありません。

13代麒麟児の逝去や関係者の世代交代を経て、北陣株の証書の行方は一門の有力後援者や協会幹部の意向を反映しながら調整されてきました。一時期は八角部屋所属力士や出羽海・二所ノ関一門との繋がりが取り沙汰されるなど、水面下での継承交渉や調整が続けられてきたのが実情です。

【一門の勢力図と展望】北陣株の正式継承レースと今後のシナリオ

年寄株の行方は、単に個人間の問題ではなく、所属する一門の勢力図や部屋の運営体制と密接にリンクしています。北陣株の今後の正式継承に向けては、いくつかの有力なシナリオが考えられます。

第1に、一門に所属する現役幕内・十両力士が引退するタイミングでの本襲名です。長年土俵を務め上げ、三役や幕内で実績を残した力士が一門の承認を得て正式に取得するパターンは、最も伝統的で円満な着地点と言えます。

第2に、部屋の独立や師匠交代に伴う名跡の再配置です。現在の大相撲界は若手親方による新部屋創設の動きも活発であり、指導力のある有望な親方が自らの基盤として北陣を本株化する可能性も十分に存在します。今後の本場所ごとの引退・襲名発表において、北陣の動向から目が離せません。

【北陣】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:北陣親方として最も有名な力士は誰ですか?
A1:昭和の大相撲で「花のニッパチ組」として大活躍した元関脇・麒麟児和春氏です。富士櫻との伝説的な突っ張り対決で知られ、引退後は約30年にわたり13代北陣親方として日本相撲協会の審判部長や理事を務めました。

Q2:相撲界における「借株」とはどのような仕組みですか?
A2:現役を引退した力士が、自前で年寄株を所有していない場合に、空いている他の親方株を一時的に借りて襲名し、相撲協会に残って指導を行う仕組みです。ただし借株には在任期限などの規定があり、最終的には本株を取得するか別の名跡へ変更する必要があります。

Q3:年寄名跡「北陣」はどこの一門に属していますか?
A3:歴史的には出羽海一門や二所ノ関一門との関わりが深く、近年の襲名劇においても一門内の有力部屋(八角部屋や旧二所ノ関系など)の動向と連動して引き継がれてきた経緯があります。

まとめ:伝統名跡「北陣」が紡ぐ相撲界の未来図

年寄名跡「北陣」は、麒麟児をはじめとする歴代の勇者たちが土俵上で流した汗と気迫の象徴です。激動する現代の大相撲界において、親方株を巡る環境は大きく変化していますが、その格式と指導者としての重責は何一つ変わりません。

借株の変遷を経て、今後どのような名力士が北陣の看板を正式に背負い、次世代の関取たちを育て上げていくのか。土俵の熱戦とともに、名跡「北陣」が紡ぐ新たなドラマに今後も大きな注目が集まります。 (出典: 北 陣(Yahoo!ニュース)